ル・コルビジェなどとともに活躍し、民藝運動とも関わりの深かったフランス人デザイナー・建築家のシャルロット・ペリアンは、1940年の来日時に山形を訪れました。地元の要請に応えて、寝椅子のデザインの骨格の寸法を伝え、実作者としては農民に任せて、柳宗悦も絶賛した寝椅子が完成しました。
昨年「山とアナキズム」のトークを気流舎でしてくださり、この寝椅子の復元プロジェクトにかかわった、羽黒山伏の成瀬正憲さんをお招きして、お話しをお聞ききします。
【シャルロット・ペリアンと民藝運動、そして山形】
○ 日 時:2018年4月1日(日)15:00~
○ 場 所:気流舎(下北沢)https://goo.gl/maps/yQvaDd7Zn262
○ 参加費:投げ銭 ※1ドリンクオーダーお願いします。
○ トーク:成瀬正憲
シャルロット・ペリアン(1903-1999)は、ル・コルビュジェ、ピエール・ジャンヌレとともに建築・インテリアの優れた作品を残したデザイナーです。同僚だった坂倉準三の声がけにより、デザイン指導のために訪日を果たしました。
河井寛次郎、龍村平蔵、浜田庄司、柳宗悦らと交友を結ぶなかで、日本各地の工芸を視察し、1940年に山形県新庄市を訪れます。 ペリアンは、この土地の農家を実製作者として、いくつもの作品を生みだしました。
とりわけ柳宗悦が絶賛したのが、「蓑の紋様と技法を活かした寝椅子」です。翌年東京・大阪高島屋で「選擇・伝統・創造」展を開催し、大きな反響を呼ぶことになりました。
それから半世紀以上が経過し、著しく劣化したオリジナルが博物館に眠るなか、新庄の青年たち=commune AOMUSHIによる寝椅子の復元プロジェクトが開始されました。
そこに実製作者として携わっているのが、昨年の気流舎でのトーク「山とアナキズム」が好評を博した、羽黒山伏の成瀬正憲さんです。
「シャルロット・ペリアンの寝椅子製作を通じて新庄の人びとと出会い、学んだことは、今日とても大切な示唆を与えてくれる」と成瀬さんはいいます。
作り方すら不明な寝椅子製作の苦労話。大戦中の日本におけるモダニズム、コロニアリズムと東北。モダンデザインと手工芸の関係性。シャルロット・ペリアンの眼差し。作り手とデザイナーの協働の作法。寝椅子を生みだした新庄という土地。そして大正時代の民権運動から積雪地方農村経済調査所の設立を経てcommune AOMUSHIにいたる「新庄の青年たち」の系譜。 それは私たちに何を伝えるのでしょうか。
成瀬さんをお招きして、作りながら見えてきたことをお話しいただきます。